触れられないもの

形がないものについて語るブログ

助けを求める仕組みというもの

普及してほしいと思う反面、もっと優しい社会にもなって欲しい

最近Twitterをよく眺めているんですが、こんなツイートを見つけました。

 最初はあまり意味がわからなかったんですが、こういう事のようです。

  • このポスターはバーまたはレストランの女性トイレに貼られているらしい
  • 男性から執拗に言い寄られている、身の危険を感じる、飲み物に変な薬物などを入れられたかもしれない、と女性が恐怖に感じた場合に店員にこっそりサインを出すことが出来る仕組み
  • 店員に「エンジェルショット」という商品を注文することで、加害者になる可能性のある男性にはわからないように「私を助けてほしい」という意思表示をすることが出来る
  • エンジェルショットの「ストレート」「ロック」「ライム入り」と呼び分けることで「乗り物まで連れて行ってほしい」「タクシーを呼んで欲しい」「警察に連絡してほしい」と依頼内容を分けることが出来る

こういう仕組み、良いですね。日本でも男子大学生が女性に無理やりお酒を飲ませて、という事件がありますし、かといってこういうシーンに対して店員が「声を掛けていいかどうか判断に困る」部分もあると思うので。

かと言って女性が堂々と「私を助けてほしい」といいにくいケースもあるだろうし、こうやって「こっそりサインを出す」ことが出来るなら防げる事件などもあると思うんですよね。ホントしょうもない男やめとけよこういうことは。女性は堂々と口説きなさい!お酒を無理やり飲ませてなんてカッコ悪いし、自分の魅力で女性と付き合えるようにがんばりなさいよ。

そして、もう一つ。

ブラックドットキャンペーン

これはたった今知ったもの。

karapaia.com

手のひらに黒い丸を書き、誰かにアピールすることで「家庭内暴力を受けている」とサインを出すことが出来る、というもの。

「DV被害者が声をあげることはとても難しいことだし、危険でもある。暴力をふるってくる相手がなにをするかわからない恐怖、他人に信じてもらえない恐怖があるからだ。しかし、DVの認知度が上がり、取り巻く環境は劇的に変わっているので、ブラックドットのような運動は、被害者が虐待を通報するための選択肢のひとつになり、助けになる」

 これは「見せた相手がこのキャンペーンの意味を知っていないと意味がない」ことであり、逆に「DVの相手がこのキャンペーンのことを知っていた場合受けるかもしれない危険」を考えると普及することはすこし疑問に感じざるを得ないけど。

そういえば「白い杖を少し高くあげる」というサインもあったはず。弱視の方が白い杖を少し高くあげているのを見たらそれは「手助けを求めているサイン」だから声を掛けてあげてほしいというもの。

しかし、実際は杖を持っている方の中にもそのサインを知らない人が多かったばかりではなく、サインを出していないなら手助けはいらないのかということにも繋がりかねないということで、支援団体などからも普及してほしくない旨のコメントがあったような。

僕にはすでに亡くなったけど耳のまったく聞こえない祖父がいて、それとなく見た時に「あ、何かしてほしいことがあるのかな」と思ったときにはトントンと肩を叩いて「何かしようか?」とサインを出したりしてたのを思い出す。勝手に「これをしてほしいに違いない」と決めつけず、してほしいことを言える関係、聞ける関係。

両手に松葉杖をして歩いていた方が転倒したのを見た時は、まず助け起こすのが先決ではなくて「なにをすることがその方のして欲しいことか」を聞くのが大事なことで、そのときには「松葉杖に損傷がないかを見てほしい」、そして「自分で立ち上がるので手を貸してほしい」でした。松葉杖にヒビが入っていたり折れている場合、それに体重を預けた場合もっと大きな怪我をするかもしれないこと、助けてもらって起き上がるのではなく自分で立ち上がることで捻挫や打撲など「受けたダメージの度合い」を自分で知りたいというのが理由でした。

ここで勝手に「立ち上がりたいんだ、腕をひっぱってやろう」になるのではなく、「なにをすることが手助けになるのか」を知ろうとすることが僕は「思いやり」なのかなと感じるし、それが出来るだけの心の余裕というか優しさのようなものを身に着けておきたいと思うわけです。

さっきの話に戻るんですが

バー?に貼られたポスターのこともね。

ホントは紳士淑女に「大丈夫?飲みすぎてない?何か手伝おうか?」的なサポートが入るような世の中であって欲しいんですよ。なんだか女性が無理やり飲まされている、とか「嫌がってるのにお酒を進められて困っている」というのが見えたりしたら。

DVというのは家の外から見るとまったくわからないケースなどもあるとはいうけど、どこかで誰かが「心や体に暴力を受けている」事を受け止める事のできる仕組みや行政のサービスなどがもっとあってもいいと思うんです。世の中はここ数十年でものすごくきな臭いというか世知辛いというか「無関心無気力」になってしまったという気がするので。

「ちょっとおせっかい」なくらいの思いやり、持っていてもいいんじゃないかなと思って。Twitterではすごく性格の悪いキャラになってますが、普段はこんなことも考えていたりします。